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人に対する信頼

フィギュアスケート

twitterからは遠ざかり、インスタも見たり、見なかったり。
ですので、
ネイサン・チェン選手のストーリーを見たのも偶然でした。

英語がまったく得意ではないわたしは、
話の内容をきちんと理解することは出来なかったのですが、
彼がすごく真面目な話をしているのだということは分かりました。

最近こそ、LGBTQ+という言葉も認知されてきましたが、
まだまだ表面的な言葉だけ、理念自体を各人がきちんと考え、
理解し、生きている言葉に出来ているか?といえば、甚だ疑問。
わたしもね。

わたしが好きな本

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
ブレイディみかこ著 新潮社発行

【4章分全文試し読み】ぼくはちょっと変わった「元・底辺中学校」に進学することにした! 家庭環境とか、性別の違いとか、ときには両親の肌の色をきっかけに、毎日が事件の連続。それでも、ぼくたちは大人たちの常識を軽く飛び越えて、子どもなりのやり方でそれを乗り越えていく。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ
家庭環境とか、性別の違いとか、ときには両親の肌の色をきっかけに、毎日が事件の連続。それでも、ぼくたちは大人たちの常識を軽く飛び越えて、子どもなりのやり方でそれを乗り越えていく。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ

には、いろいろな立場の人たちとともに生きる姿勢として
empathyエンパシー(日本語では主に「共感、感情移入」と訳される)
という言葉が通底音的に語られています。

イギリスの底辺中学校(人種も経済レベルも様々)に通う中学1年生の男の子が
empathyエンパシー とは何か?
という問いに対して、
「他人の靴を履いてみること」と答える。


LGBTQ+という言葉を理解し自分の言葉とするには、
この empathy=他人の靴を履く ことが必要なんだろうと思います。


今回、ネイサンチェン選手の言葉をわたしなりに理解して思ったことが、
彼は「人間を信頼する強さを持った人」だな、ということ。

フィギュアスケート男子選手に対しての「女性的である」
といった中傷は、今に始まったことではないから、
わたしなんぞは、またかと、大して反応もしなくなっている。

だって、フィギュア男子シングルを応援し始めたころ
「本田くん!」「キャンデロロ!」「トッド・エルドリッジ!」
※そのころのわたしの三大推しです。(^-^;
とTVに叫ぶわたしに対して、
実家の弟は白い目で
「フィギュアしてる男なんて、みんなオカマだろ。」
って、言いましたからね。
いわく、「あんな、ひらひらした服着て踊ってんだから。」だそう。

そういう、競技自体をちゃんと見てもいない人間の無責任な断定に
真摯に反論、対話するのって、と~っても難しい。
「どうせ理解されない」と思い、
否定に否定を重ねるか、ハナから相手にしないか。

ネイサン・チェン選手も、インタビューを受けた時は
否定に否定を重ねてしまったかんじ。
でも、いろいろな人の意見や後から自分の発言を顧みた結果、
自分の言葉で真正面から謝罪をした。

「謝罪」とは書きましたが、わたしは「対話」でもあると思います。

自分の発言で、不快さや悲しみを感じさせてしまった人たちに対しての謝罪は、
インタビューは意見表明の絶好の機会だったのに、それをしなかったと発信することで
フィギュアスケートという競技(その他の多くのスポーツに対しても)に向けられる
ある種の偏見に対して再考を促す言葉でもあったと思います。

いまはSNSで発信すること自体に大きなリスクがあります。
ネイサン・チェン選手はそのことを十分に理解していながらも
自分の想いと考えを、自分の言葉でまっすぐに語ることを選ぶ。
SNSが本来持つべきプラスの面を信じているのだと思います。

強いですね。

人との対話を諦めない人は、強いです。
対話を諦めない人は、人間を信頼している人だと思います。

彼ならば「他人の靴を履いて」軽々と4回転を跳んでみせることでしょう。

そして、彼をはじめとするスケーターたちの最高のパフォーマンスこそ、
フィギュアスケートに対する心無い言葉に対する反論であり続けるに違いないと、
ただの いちフィギュアファン は、思うのです。

※画像は「世界フィギュア2021男子シングルFS」からです。